243 子育て

こんなツイートを見た。いろいろな意見があってよいと思いますが、このツイートはさすがにいただけないと思った。以下になんかおかしい点について私の意見を述べます。

「子育て」の定義

「子育て」の定義は広義と狭義がある。

狭義の「子育て」は、毎日の世話を指す。赤ちゃん期なら授乳し、オムツを替え、ご飯をあげる、寝かしつけるなどなど。

広義の「子育て」になると、日々の世話だけではなく、子どもが将来社会に出るために必要な準備一般を指す。その中にはしつけとか、心の成長を見守ること、社会の決まりごとを守る気持ちを育てるとか、将来他人とどうかかわっていくかとか、あらゆることが含まれる。

「子育て」を広義でとらえた場合、本当に女親だけしかできないことって、妊娠出産と授乳くらいではないか。生まれたばかりの赤ちゃんと、中学生の子ども。どちらも子どもだが、周りの大人が関与する度合いは違うし、関与の仕方も違う。でも中学生もミスを犯すことがある。それらを一つ一つ正していくことも子育てのうちに含まれると思います。

上のツイート主にかかわらず、「子育て」の解釈が男親と女親で違っているのではないかと感じることがある。女親からすると、子供の年齢に違いはあるものの、広義で子育てにかかわってほしいと思っている。それは子どもを直接世話することだけではない。手が回っていない家事をやるとか、子どもとコミュニケーションを取ってくださいとか。子どもとは直接関係ないことのように見えることを積極的にやる姿勢が、子どもの心を育てる。

疲れを感じるということ

「疲れた」「疲れていない」というのは主観的な感想である。「私は疲れている」といえば疲れているのである。他人の物差しで自分の「疲れ」の判断はできない。

子育てアカウントさんのツイートでもこんな言葉に対する愚痴をよく見かける。

「専業主婦で家にいるのだから、疲れているはずはない。」

「専業主婦でずっと家にいるのに、なんで家が片付いていないの?」

「三食昼寝付きいいなあ。」

「専業主婦なんだから、家事育児すべて完璧にしろ。」

これらの心無い言葉は、すべて他人の物差しで自分の疲れを判断された言葉。このような言葉を発する大人が子どものそばにいたら、子どもはどう感じるだろうか。子どもには一つ一つの言葉の意味は分からなくても、その言葉のトーンや大人の表情で理解しています。

まとめ

「経済が発達する過程で、弱者を置き去りにしてきたのではないか」さだまさしさんの歌の歌詞にそのような意味の言葉があったように思います。子どもも女性も老人もみんな社会の成員です。社会的弱者と言われる人たちを切り捨てることなく、手を差し伸べられる社会であってほしい。

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